祈りとは?藤原新也さんの写真展へ
ご近所、世田谷美術館で開催中のこちらへ。
〝メメントモリ〟
10代の頃に読んで
衝撃を受けた本の作家さんでもありました!
行くまで覚えてもなかったなぁ。
写真撮影可。
でも、途中から、撮るのをやめました。
皆さん、そんな感じだった。
〝写真に撮る〟って
目の前のことを感じてないんだな。
ファインダーを通す時点で
ピュアじゃない。
しわしわの、汚れた手なのに
美しい…と息を飲んだ。
生と死を、考え、確認するような
濃い、濃い、濃い時間。
見終わった後は、ものすごくお腹が空いていた。
たくさん、〝感じた〟んだと気づきました。
フラを踊っていると
〝祈り〟とは切り離せない暮らしになります。
でも、祈りって何かを
言葉で表現することは
きっと一生無理だと思う。
言葉にできないから
祈りなんだと、私は思う。
私にとって祈りは、行為に、近いのかな。
暮らしすべてが、祈り。
感情をこんなに揺さぶられたのは
久しぶり。
泣くこともなく、ただ、自分の中に
浮かんでくる〝悶々と〟した何かを
感じていました。
昔は、〝悶々と〟が嫌で嫌で
白黒つけて生きるようにしていました。
最近やっと、〝悶々と〟を受け入れられるように。
〝悶々と〟も、白と、黒と、同じ感情だった。
フラの、歌と歌の間の、間奏(バンプ)のような。
はっきりした感情達の間を繋ぐような
〝悶々と〟と言う感情。
バンプを踊る時の感情を、確認してみよう。
なーんて、フラヲタクは思うのでした。笑笑
観れて良かった。
人を揺さぶる、ダンサーになりたいな。
今週末までやっています。
ぜひ。
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